電脳版「さめちゃん通信」

 

 

H 真打昇進披露(疲労)パーティー大変記。
☆ 2003年 9月 23日(祝)、東京大手町・パレスホテル「神田鯉風・陽司 真打昇進披露パーティー」にて、

昇進してから半年以上たってナニを今更という感もございますが、何とぞご容赦を・・・。やっと総括出来る様になりました。

平成16年10月1日を以て、神田陽之助と陽司は真打に昇進。また陽之助は芸名を神田鯉風と改める・・

 平成2年夏の入門以来、十四年目にしての真打昇進。嬉しい事でございます。入門直後の「空板(からいた=前座見習い)」だった頃からすれば、本当に夢の様な事でございます。あの頃は真打の先生といえば、まさに「殿上人」!!余りにも恐れ多く、近寄り難い存在だったのに、その真打ちの先生に自分が成ってしまうとは・・。昇進の内々定、そして内定が出てからも「本当かいな?」という感が拭えず、結局よく判らないママにその日を迎え、よく判らないママに真打に成ってしまいました。そして未だによく判らないのですが・・。

 いやぁ、二ッ目に昇進した時と違って、真打に昇進というのは本当に大変でした・・。内々定・内定の段階では「陽之助は平成16年春、陽司は同年秋の単独昇進」の予定だったのですよ。当然の様に、自分の昇進の時の「番頭役」は陽司さんが勤めて呉れる事に成って居たのですが、様々な事情により「同時昇進」という事に成りまして、正直申しまして、予定が大幅に崩れました。それでも相方が陽司さんだったからこそ、崩れた予定を再構築する事が出来なかったらも関わらず、結局どうにか成ってしまったのですが・・。

 まず平成14年の秋、会場となるホテルのパーティールームと日にちの選択から、ヤヤコシイ問題が始まりました。陽司さんの承諾の下、基本的に手前が司会として入っておりますパレスホテルグループさんにお願いする方針で有ったのですが、何しろ貧乏人の両名でございますので、条件は「比較的安く上がる」パーティールームと日にちを選ばなければ成りません。それで居て、見得も有りますので、何しろ一生一度のこと、恥ずかしい場所ではやりたくは無い。その結果、平成15年9月23日に大手町パレスホテルのローズルームを全て借り切る事に成りました。

(本当はもっとずっとお安い会場も有ったのですが、何しろ大手町パレスホテルといえば江戸城大手門の目の前ですよ。徳川様の講談を読むことで食べている講釈師が、他の場所を選んでどうしますか!!ここしか有り得ません。でもさすが超一流のパレスホテル、予算オーバーです・・。営業さんに泣いていただきました、済みません)

なぜ9月23日の成ったかと云えば、「仏滅」で会場が空いて居たからだけです。ただその日が「秋分の日=お彼岸の中日」だと云う事に、我々は深く留意して致して居りませんで、その事が後々響く事に成ったのですが・・。

 年が変わって平成15年の正月過ぎ、続いて「三点セット」と「引き出物」の手配でございます。「三点セット」とは一体ナニなのか?「真打昇進の挨拶状」「手拭い」「高座扇子」の昇進に付き物の三品を、我々芸界では通称「三点セット」ナドと申して居りまして、芸界の各先輩方やお席亭様、ご贔屓のお客様方に、ご挨拶の吉例のお品としてお渡しする仕来たりがございます。「挨拶状」の文章は「師匠」と「本牧亭のおかみさん」、そして東京のおっかさんとして手前を可愛がって下さって居ります「全異連代表幹事の岩渕さん」のお三方にお願い致しました。またパーティー当日の引き出物として、「世界初の高座用の講談時計」の製作を開始。どうせ何かするなら一点豪華主義で行きたいと、手前が数年前から構想を暖めていた小粋なモノでございまして、結果として非常に好評を得られる事に成りました。有り難い有り難い。

 平行して「後ろ幕」「のぼり」「着物」etc・・の手配もございます。何しろご贔屓商売の芸人でございますので、こう云ったモノはご贔屓のお客様に作って戴くモノなのだそうですよ。とは云え不景気なご時世、特定のお客様にこれらをお願いする訳にも行かず、言い出す事も出来ず、結局有志多数のお客様方が「陽之助ご贔屓連」というシンジケートを組んで下さいまして、費用等をお願いする事に成りました。本当に有り難い事です。

 やがてGW明けには「三点セット」の用意も出来上がり、手前の師匠・神田松鯉と、陽司の師匠・神田 紅 師に付き添って戴いて、ご挨拶廻りでございます。黒紋付・羽織・袴姿で、各お席亭様のもとへ、そしてマスコミ各社のもとへ。以前、師匠が襲名なされた時に鞄持ちとして付かせて戴きましたので、何となく判っている様な気をして居たのですが、実際自分の問題となりますと別でございますね。予め組んでおいたスケジュールをこなすだけで精一杯で、ナニを喋ったのか全く上の空。今でも、穴が有ったら入ってしまいたい様な心境です。

 さて梅雨に入ると、パーティーにご出席戴きたいお客様の調整も始まりました。これが単独のパーティーなら比較的楽なのでしょうが、今回は陽司さんと共同でございますので、この調整でまた一騒ぎ。双方共に出来るだけ大勢の「自分の」お客様にご出席戴きたいと云う気持ちがございますし、パーティールームの収容人数の問題もございます。また、片一方だけが多くて、もう一方が少ないと云うのも困ります。リストを持ち寄り、数度の調整会議を行い、そしてご招待状の発送を迎える頃には、早くもヘトヘトに成り掛けて居りました。

 さぁ真夏、処がこの夏は涼しくて助かりました・・。高座の数もギリギリまで絞り、準備作業に集中です。出欠のご連絡も届き出し、毎日一喜一憂を繰り返す。昇進披露に関わるお品もドンドン集まり、家の中はとっ散らかって踏み場も無い状況。毎日の様に何らかの打ち合わせ。体力気力共に低下を続け、増えるのは疲労と納品/請求書の山。精神的におかしく成り始め、モノが食べられなく成る。疑心暗鬼に成る。眠れなく成る。そして痩せて来る。あぁ兎に角、その日が早く来て欲しい・・。そして終って欲しい・・。

 十日くらい前から、パーティールームでの席決め/振り分け会議が毎晩遅くまで。一週間くらい前から、準備の作業場になる日本講談協会事務所への様々な物品の運び込み・資材の買い込みを行い、いよいよ遂に一門の後輩達に手伝って貰って直前の準備作業へ。処が、正直申しまして、この時点で手前は一杯一杯に成ってしまい、本当に情けない事に・・倒れてしまいました。疲れ切って居るのに眠れない・・、やらなきゃいけないのに動けない・・。手伝ってくれる後輩達に申し訳無いという気持ちと、もうこれ以上動けない現状との狭間で苛まれまくりました。結局、前々日の最終準備作業をまる一日休ませて貰いました。本当にみんな申し訳ない。

 そうそう休んで居る訳にもいかず、前日のパレスホテルへの運搬作業も、フラフラながらも陽司さんらと何とか行い、いよいよパーティー当日。立って居るのがやっとと云う状態は結局変わらず、当日お集まり戴きました大勢の皆様にお恥ずかしい姿をご覧に入れてしまい、お詫びの申し様もございませんでした。バーティー自体は皆様方のお力により、笑顔溢れる中とても盛大に行う事が叶いました。尤も本人は無我夢中で、ナニがナンだか良く判ってなかったのですが・・。その後の真打昇進興行も無我夢中で、ナニがナンだか良く判らないままに、お蔭様で無事に盛大にまとめる事が叶いました。

 前もって先輩方からは、昇進と云うモノはとにかく大変だと聞いて居りました。思わぬしくじりをして怒られるモノだと聞いた居りました。そして、先輩方が仰る通り本当に大変で、しくじりの連続ばかりでございました・・。冗談抜きで大変でした・・。真打昇進と云うモノは、手前には今後もう二度と有り得ませんが、 正直「またやるか?」と言われましたら、はっきり「もうこりごりだ」と答えますね。でも皆様方のご期待に応えられます様に、より一層の芸道精進に励まなければならないという事は良〜く判って居りますので、何とぞこれからも宜しくご声援下さいます様に、お願い申し上げます。

 (2004/05/02)

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